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2012年01月10日
初セリ
皆様お疲れ様です。松木武久農園のうさぎです。 1月5の初セリに、うさぎママと一緒に見学に行ったのですが、アップできずに、こたつうさぎになってました。

~初せりを見学に行く~



例年では考えられない程の、りんごの出荷量の少なさに衝撃を受ける。 まぁ、こんな年はめったにないですなぁ。正月タイムですっかり夜型になってたのだが、うさぎママが
「あんただって、たまには市場をみとかないと~。」
とのコトで、朝っぱらにぶち起きて行ってきました。帰りに、シールとか値札とかの資材も購入してくる。
~うさぎ最近の読書傾向~
『見えないものを見る力』、木村秋則著、扶桑社、2011年9月初版発行
『死の向こうへ』、横尾忠則著
『人生を創る』、よしもとばなな×ウィリアム・レーネン、ダイヤモンド社
『植物は気づいている』、クリーヴ・バクスター著・穂積由利子訳、日本教文社、H17年初版発行(2004年)
『植物と話ができる!』、小原田泰久著、廣済堂出版、2007年第一版発行
『サウスポイント』、よしもとばなな
『アナザー・ワールド 王国その4』、よしもとばなな、新潮社
年末に、昨年一年間で見逃してた趣味の本とか、中古で大量買いした本を端から読みまくっておりました・・・ら。すっかり、頭の中の回路があちら側にいっており、いろいろ~物思ふ~感じでおりまして。いや~、本を読むのは、こどもの頃からの趣味というか、生きがいなので、「自分、失明したらホント困っちゃう!」。 目が見えなくなる事は恐怖です。
旅が好きなのも、実はこどもの頃から 「活字を通じて違う世界にトリップする暮し」 が日常になってたせいかも?と思うくらいです。もちろん新しい知識や情報を得る・・・という部分も読書の楽しみにはあるんでしょうが、自分にとっての「読書」ってのは、いつも
「知らない世界を旅するコト。知らない人の言葉を聴かせてもらうチャンス。そして生涯をかけて貴重な体験をした人の人生を、自分も生きるコト。」
って感じでした。 こどもの遊びや、おしゃべり、女子同士の恋愛話し、学校でのいろいろ・・・そういうのは、全くつまらないと思ってるような子どもでした。ドッチボール転がして、何が楽しいのか? なわとびだの、ゴム跳びして、何が面白いのか?さっぱり意味不明だったっす。
本にかじりついてると、その方が不思議がられたけど、「こんなに面白い世界、行ったコトもない外国の話し、ありとあらゆる興味深い話しが楽しめる本を読まない人の気が知れない???」って思ってるような子どもでしたにゃ。
大人になっても、そういう部分は変わらなくて、「読書モード」に入ると、現実的な生活に支障をきたす・・・ので、本を読むのは冬と決めてます。
今日は納品とかあったので、やっとこ仕事モードを発令させましたw
バクスター氏の本には非常に刺激されました!
「新しい科学的真理が勝利を収めるのは、反対者を説得して彼らを啓蒙することによってではない。勝利は、反対者がやがて死んでいき、新しい科学的真実に慣れ親しんだ世代が成長していく事によってもたらされるのだ。」
-マックス・プランクー
パラダイム・シフト
しかも、まだご存命のようです。??? ご存命ですな!86歳だって!木村さんにも、武久君にも、そのくらい長生きして貰いたい、へっぽこうさぎです。
【新紀元】 植物にも感情がある (一)・・・http://www.epochtimes.jp/jp/2010/11/html/d52191.html
うさぎ感激して、うさぎママにこの本の実験を話しまくったら・・・・
「お母さんも、最近、車が話しかけてくるんだけど。」
「・・・なんだって?」
「スーパー廻りとか行く時に運転してると、車の後ろから車が喋るの。はい。とか、ふん。とか言うの。何か言ってるのよ。」
「・・・聴こえるの?」
「聴こえる。」
「それは、運転しながら考えてる事に相槌とか打つ感じ? それとも脈絡なく?」
「相槌って訳じゃないけど、何か言ってる。」
「・・・・。アンタが、あんまり車を酷使するから、も~疲れた!ってコトかも? 事故にでも遭うんじゃない?大丈夫?事故った後に検査したよね?てか、エンジン音の異常とかじゃないの?」
「した。異常はないはず。」
「・・・・なんだろね?」
「わからない・・・。」
「あ!分かった!! りんごが喋ってるんだ!スーパー廻りして、置ききれない、りんごとか積んでるから、もっと売って~って、りんごが言ってるのかも?」
「・・・・。そ、そうなのかなぁ?」
遠くの海外の実験結果に感銘を受けてたら、うさぎママの日常にびびる。。。 ぅーん。。。なんだべ?何なんでしょうか?植物は喋るけど、機械は喋らない!とは思わないけど・・・。 日常は、実験結果よりも奇なり・・・・です。
そして、『サウスポイント』 この本は、『ハチ公の最期の恋人』のその後のお話でした。 自分は、よしもとばななさんが大好きです。多分、よしもとばななさんを好きな人達がみんなそうであるように、それは「好きな作家さんの本を読む以上」のナニかなんです。もともと読書オタク、本の虫みたいだったので、中学生時代に噂の『キッチン』も読みましたが・・・その時は、よく分かりませんでした。ただ、「本なんて全く読みそうにもない、学ランの裏地がピンクになっちゃってるような同じクラスの男子」が
「この人の本は面白い!!」 と言ってたので、「ぇえ~?あんた、本読むの???」と思って、自分も読んでみたけど、当時はその良さがさっぱり理解できませんでした。きっと、まだ自分には必要なかったんだと思います。その頃に読んで感銘を受けたのは、『女の一生』とか、シュテファン・ツバイクの『マリー・アントワネット』とか、『死にゆく者からの言葉』
鈴木秀子/著 文春文庫でした。
よしもとばななさんに嵌ったのは、大学時代に 『アムリタ』 を読んでからかと思います。それまでも、既に新刊が出たらチェックする小説家さんにはなっていたけど、リアルに自分の生き方に影響を与えたのは、アムリタだったかと。一人暮らしを初めて、TVのない部屋で、3年になって授業も選べるようになって、バイトも始めてなくって・・・暇を持て余してて。一人暮らしの直前に、~気が全開気味になって異界に足を踏み入れかけた~体験後だったかと思います。
飯もろくろく食べられなくて、松戸駅を越えて大学まで通うのが、死に物狂い・・・みたいな時期でした。当時の自分は、食事をとるのがきつかったように思います。今まで、チャッチャッと出来ていた料理に、3倍くらいの時間がかかるし、食べるにも同じ。
同じクラスで、同じ寮を出て一人暮らしを始めた、沖縄出身の友人が心配して遊びに来てくれたりしました。
「のんちゃん、なんで、みんなとご飯食べたりしないで、授業終わると帰っちゃうの?もう門限もないし・・・みんな心配してるよ?」
「ぅーん。だって学校で毎日会ってるじゃん。今は外で食べられるモノがないんだょ。」
「この部屋、TVもないの? 帰ってから、毎日何してるの?」
「何って・・・本読んだり、CD聴いたり、絵描いたり。。。あと、今までより、料理にすっごい時間がかかっちゃうんだょ。」
「なんで?」
「ニンジンさんとおしゃべりしながら切るから。」
「・・・・。 はぁ? ・・・。 まぁ、なんだか知らないけど、たまにはお茶くらいみんなと飲みなよ~。」
そんな時期だったので、まさに~アムリタな時間~を生きた感じでした。とても生きるのが大変な時期だったけど、お陰で
「他の生き物の命を貰って食べる。」 とか、「食べ物を身体に入れて、自分のモノにしていく」 という事について、リアルに考えさせられ、体験できました。その体験と前後して、ガイアシンフォニーで、森のイスキアの佐藤初女さんの話しを読んだりして、非常に納得しました。
「料理をしていて、火を止める瞬間は食べ物が教えてくれる。透明になった時が、その食べ物がわたし達に、自分の命を捧げてくれた瞬間なんだ・・・。」
というようなお話です。
当時は、とにかくセンシティヴに傾いてしまった自分の身体が、そういうコトをひとつずつこなしていかないと、ご飯も食べられませんでした。普段の何倍もかけて料理をして(人参を切る時には、人を一人殺すくらいの労力を使っていたと思います。)、それを食べられるようにして、器に盛って、食べる。
食べる時も、人参やお米とおしゃべりをするように、ゆっくり、ゆっくりと噛んで食べないと、身体の中に入っていかない。
今は、TVつけながらとか、本読みながら・・・とかご飯食べてるけど、当時は考えられない感じでした。今も、本当は、どんなに時間がかかっても、そんな風に暮らしていく方が自分には向いてるのかもしれません。だから、今の暮らし方は自分の中のそういう本来の癖、生き方、センシティヴな部分を鈍らせて生きているんだと思います。
まぁ、そんな訳ですっかり 「よしもとばなな」さんに嵌ってた訳ですが、たくさんある小説の中で、よしもとさんの好きな本を選べ!!と言われたら、大切な本が3冊あります。
『アムリタ』
『ハチ公の最後の恋人』
『とかげ』
とくに、ハチの話しは、当時していた若者っぽくない恋愛と、装丁の素晴らしさと共に、自分が死ぬ時には棺に入れて欲しい一冊です。『サウスポイント』は、そのお話のその後のお話なんです。感慨深かったです。18歳~35歳までの自分の心の暗闇を旅したみたいで、なかなかに貴重な体験でした。
そして、バクスター氏の本と、小原田さんの本を読んでいたら 『王国』シリーズのコトも気になって、再読してました。これは~とんでもない山奥で植物の力を借りて、お茶を調合して生計を立ててるおばあさんと孫のお話~なんです。その女の子の名前は、雫石と言います。
そして、環境の変化で植物の力をお茶にする事が出来なくなって、山を降りた女の子が、~目の見えない占い師の楓~と、~占い師のエージェントをしてる美意識が高いが、とんでもなく毒舌のパトロン(楓の恋人:ゲイ)の片岡さん~と仕事をして生きていく・・・というお話。
あらすじだけ書くと、とんでもないが、~雫石と、楓と片岡さん~の世界に、うさぎはすっかりやられて、続編をとても楽しみにしてました。無農薬でりんごを作り始めて、農業でのビジネスって?とか、経済のコトとか、自分がやりたい事で悩んでいた時期だったので、王国1を読んだ日は・・・・なんていうか、自分のりんごの木との向き合い方を、根底から問いかけられてる気がしました。
それと共に、やっぱり自分がしたい事や、暮らし方、りんごの木や植物に対して感じていたコトが正しかったんだ。他の人にとっては分からないけど、自分に見えている世界、見ていきたい世界が確かにあるんだと励まされました。
~うさぎと木のお話~
その1・・・中学生くらいの時に、うさぎが子どもの頃に通った児童館(幼稚園も保育園も村にはなかった)の広場にあった木が切られました。ある朝、登校途中に見たら、なくなってまして・・・。うさぎは衝撃を受けました。なんで切っちゃたんだーーー!!と友達に言うでもなく、ひとり嘆いてたのを覚えてます。でも、村の友達はみんな無反応で・・・。
自分がちょっとおかしいのかな? みんなは、なんで平気なんだろう? てか、別にあるのが当たり前で、その木と子どもの頃にお話したりした訳でも、特に愛着があった訳でもなかったので、「なんで自分がそんなに衝撃を受けたのか?」 それも謎でしたが、ただ実感として
「なんで、そんなに簡単に、あんな立派な木を切ってしまうのか???」
さっぱり訳が分からなかったし、切る時に誰も大人の人が反対しなかったコトが理不尽だと感じました。誰にも、自分にさえも理解されなかったけど、こども時代の思い出のひとつです。
その2・・・りんご畑の近く、昔のうちのお墓にあった松の木が、松くい虫にやられたので切りました。
松くい虫にやられてきてる・・・という話しは武久君から聞いていて、とうとう切ってしまった!・・・と聞いて、うさぎは自分の感性を切りました。忙しい時期だったし、もしそれを自分の弱い部分(心が弱いとかではなくて、柔らかな部分のコト)で受け止めてしまったら、ちょっと受け止めきれないから。
今でも、切られてしまった松の木のコトはあんまり考えたくありません。自分が何も出来なかったコトもだし。何より、お墓やりんご畑の端っこで、足場も良くない場所で、それこそご先祖様の生きていた頃から、長い年月を生きてきた立派な松の木、その木が松くい虫にやられて、あっさり切られてしまう日常・・・それが大嫌いです。そういう意味では、自分は、現世の営みや、現実的な人間の暮しが憎らしいです。どうして、もっと病気になってしまった松の木のコトを真剣に考えてくれる人がいないのか?他の木に病気が移ってしまうから仕方ない・・・それだけではない暮らし方はないものか???




*一昨年?、塔の尾の畑に研修生に手伝って貰って、大量のいろんな品種のりんごの苗木を植えました。確か、140本くらい穴を掘ったのを覚えてます。(穴だけは、業者さんにバックホーで掘って貰いました。)これは、それでも植えたりなかった分の穴を掘り直したりして、植えてる日の作業です。
ただ 「自分が真実だと思う道をいくこと」 は、とても険しいです。だいたい自分のこのセンシティヴな部分を大切にし過ぎたら、それこそ農業なんて出来ないと思います。規則正しい毎日を送りながら農業を続けていくコトと、自分の感性に従って生きるコトは、今の自分にとってはアンビバレントだから。
もう少し、いや、大量に、りんご畑を減らせば、それは可能かもしれません。今は、たった一本のりんごの木と向かい合うコトさえもままならない暮しです。うさぎママに実験結果を話して聞かせたら、
「それならアンタ、寝坊なんかしてないで、それこそ毎日、畑に行って、一本一本のりんごの木に話しかけて歩かなきゃじゃん!」
と言われました。その通りだと思います。でも、SNSでも、リアルでも、あまりにもたくさんの人とコミュニケーションを取る事は限界があるように、りんごの木とだって、限界値があると思うのです。
こどもだってそうだと思います。一辺に、40人全てのこども達と密に接するのは指南の技です。
自分が少しでも、今よりもたくさんのりんごの木と仲良くなる為には、他のコミュニケーションを遮断していく道しかない気がします。それは、だいぶ前から気づいていた事で・・・。 寂しがり屋の、めっぽう人間が好きな自分には、植物と本当の意味で仲良くなるには・・・ちょっと人間が好き過ぎる。。。と感じてます。
でも、りんごの木と今よりも、もっともっと仲良くなりたい気持ちはいつでもあります。そうして開かれる世界に憧れもあります。でも、なんでだか、そういう暮し方をする自分が怖いんです。きっと自分は 「やるなら徹底的に!!」 と思う部分があるので、すっかり世捨て人みたいになって、店舗にも立てなくなっちゃうんじゃないか? とか、よくいる猫屋敷のおばさんみたいに、~りんごおばさん~になっていくのが想像できて。
そうなったらそうなったで、そういう暮し方を楽しく思う自分もいるのだろうけど、だからこそ、ちょっと怖いというか・・・。
バクスター氏の本のあとがきに、翻訳者の穂積さんが御父様から聞いた、「成木責め」のコトが書かれてました。実らない木に刃物をあてて、「実らないと切っちゃうゾ!」と脅すと翌年からは、実をつける・・・というお話。りんご農家としてはリアルな感じで、たまに聞く話です。
うさぎママにも、その話しをしたら、
「確かに~。もぅ、この木は古くなって病気もいっぱいだから、来年は切ろうかね?」
なんて思ってると、たくさん実をつけて、武久君が切りたがらない・・・と。うちでもよくある話。
でも、そんな風にりんごを脅したりするのは、別にしたい事じゃなくって。どうしたら、長年、松木家を支えてくれて、お客様にも美味しいりんごを届けてくれた、りんごの木を・・・寿命を全うさせていきながらも、自然栽培に移行していくか? 一番の問題はいっつも足りない人手・人件費。慣行栽培でさえ、人手不足で大わらわの農業スタイル。
減らすってコトは、イコール・・・まだ、実るりんごの木を切っていくコト。 そのまま農薬はかけずに残していきたいのだが、それだと、近隣に迷惑がかかったりしちゃうから(しないって木村さん達は、りんご裁判とかで戦ってきたのだけど)なかなか難しい道です。
まぁ、なんと言っても今年はまぢで人手も減ったので、うさぎがたくさん畑に出る以外ないのだが、それだけでは追いつかない部分もある。自分の雑事的な仕事を大幅に見直して、本格的にりんごの木と向かい合う道を選んでいくしかないのだにゃ~。
どっぷり浸かると、根を詰める方なので、手探りながらも、ナニか道標を立てて、自分とりんごの木、畑との関係性を考えていかねばにゃのだ☆
人生は、キラキラしないとなのだ☆ 泥にまみれながらキラキラするのが、うさぎの生き様になるのだ
明日は、松木農園を支えてきてくれてた研修生や、おばちゃん達と温泉に行って来ますです。
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=Ms7Ec594Xz4
* * * * * * * *
昨年の5月頃でしたかね? 「いのちの林檎」の上演会のチラシをずくなしカフェで見かけて、行きたかったのだが、花粉付けの真っ最中で行けませんでしたが、田口さんに連絡を取って、こちらのブログでPRしました。そんなご縁で情報を頂きました。ちょっと予定に入れて、うさぎも行ってみようかと思います。
1月9日、千曲市・坂城の議員さんと交えて、「みつばちからのメッセージ」の上映会を行ないました。
有機リンやネオニコチノイドが脳神経を侵して行くメカニズムをご理解いただけました。千曲・坂城では、今年空中散布を予定していることから、住民の方達にも、この事実を知っていただこうと、上映会をすることになりました。ぜひ、広報をお願い申し上げます。
2月1日(水)午前10時~ 2月3日(金)午後7時~
千曲市五加コニュニティーセンター(予定)
お問い合わせ 0268-43-3253(田口:こどもの未来と健康を考える会
)
市民グループ「こどもの未来と健康を考える会」(田口操代表)は4日、「つながる命みんなの輪」映画上映会&講演会を東御市文化会館で開いた。
同会は、松枯れ対策で行う農薬の空中散布の中止などで活動している。今回のイベントは、専門家の講演や化学物質過敏症の過酷な生活を描いたドキュメンタリー映画「いのちの林檎」(藤澤勇夫監督)や、ネオニコチノイドの農薬散布の被害を訴える「ミツバチからのメッセージ」を上映。映画制作関係者のトークなどを盛りだくさん行った。
会場にはオーガニックな農産物加工品を扱った多数の店も集まり、大勢の人が集まった。・・・http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000358827.html
*東信ジャーナルより抜粋
~初せりを見学に行く~
例年では考えられない程の、りんごの出荷量の少なさに衝撃を受ける。 まぁ、こんな年はめったにないですなぁ。正月タイムですっかり夜型になってたのだが、うさぎママが
「あんただって、たまには市場をみとかないと~。」
とのコトで、朝っぱらにぶち起きて行ってきました。帰りに、シールとか値札とかの資材も購入してくる。
~うさぎ最近の読書傾向~
『見えないものを見る力』、木村秋則著、扶桑社、2011年9月初版発行
『死の向こうへ』、横尾忠則著
『人生を創る』、よしもとばなな×ウィリアム・レーネン、ダイヤモンド社
『植物は気づいている』、クリーヴ・バクスター著・穂積由利子訳、日本教文社、H17年初版発行(2004年)
『植物と話ができる!』、小原田泰久著、廣済堂出版、2007年第一版発行
『サウスポイント』、よしもとばなな
『アナザー・ワールド 王国その4』、よしもとばなな、新潮社
年末に、昨年一年間で見逃してた趣味の本とか、中古で大量買いした本を端から読みまくっておりました・・・ら。すっかり、頭の中の回路があちら側にいっており、いろいろ~物思ふ~感じでおりまして。いや~、本を読むのは、こどもの頃からの趣味というか、生きがいなので、「自分、失明したらホント困っちゃう!」。 目が見えなくなる事は恐怖です。
旅が好きなのも、実はこどもの頃から 「活字を通じて違う世界にトリップする暮し」 が日常になってたせいかも?と思うくらいです。もちろん新しい知識や情報を得る・・・という部分も読書の楽しみにはあるんでしょうが、自分にとっての「読書」ってのは、いつも
「知らない世界を旅するコト。知らない人の言葉を聴かせてもらうチャンス。そして生涯をかけて貴重な体験をした人の人生を、自分も生きるコト。」
って感じでした。 こどもの遊びや、おしゃべり、女子同士の恋愛話し、学校でのいろいろ・・・そういうのは、全くつまらないと思ってるような子どもでした。ドッチボール転がして、何が楽しいのか? なわとびだの、ゴム跳びして、何が面白いのか?さっぱり意味不明だったっす。
本にかじりついてると、その方が不思議がられたけど、「こんなに面白い世界、行ったコトもない外国の話し、ありとあらゆる興味深い話しが楽しめる本を読まない人の気が知れない???」って思ってるような子どもでしたにゃ。
大人になっても、そういう部分は変わらなくて、「読書モード」に入ると、現実的な生活に支障をきたす・・・ので、本を読むのは冬と決めてます。
今日は納品とかあったので、やっとこ仕事モードを発令させましたwバクスター氏の本には非常に刺激されました!
「新しい科学的真理が勝利を収めるのは、反対者を説得して彼らを啓蒙することによってではない。勝利は、反対者がやがて死んでいき、新しい科学的真実に慣れ親しんだ世代が成長していく事によってもたらされるのだ。」
-マックス・プランクー
パラダイム・シフト
しかも、まだご存命のようです。??? ご存命ですな!86歳だって!木村さんにも、武久君にも、そのくらい長生きして貰いたい、へっぽこうさぎです。
【新紀元】 植物にも感情がある (一)・・・http://www.epochtimes.jp/jp/2010/11/html/d52191.html
うさぎ感激して、うさぎママにこの本の実験を話しまくったら・・・・
「お母さんも、最近、車が話しかけてくるんだけど。」
「・・・なんだって?」
「スーパー廻りとか行く時に運転してると、車の後ろから車が喋るの。はい。とか、ふん。とか言うの。何か言ってるのよ。」
「・・・聴こえるの?」
「聴こえる。」
「それは、運転しながら考えてる事に相槌とか打つ感じ? それとも脈絡なく?」
「相槌って訳じゃないけど、何か言ってる。」
「・・・・。アンタが、あんまり車を酷使するから、も~疲れた!ってコトかも? 事故にでも遭うんじゃない?大丈夫?事故った後に検査したよね?てか、エンジン音の異常とかじゃないの?」
「した。異常はないはず。」
「・・・・なんだろね?」
「わからない・・・。」
「あ!分かった!! りんごが喋ってるんだ!スーパー廻りして、置ききれない、りんごとか積んでるから、もっと売って~って、りんごが言ってるのかも?」
「・・・・。そ、そうなのかなぁ?」
遠くの海外の実験結果に感銘を受けてたら、うさぎママの日常にびびる。。。 ぅーん。。。なんだべ?何なんでしょうか?植物は喋るけど、機械は喋らない!とは思わないけど・・・。 日常は、実験結果よりも奇なり・・・・です。
そして、『サウスポイント』 この本は、『ハチ公の最期の恋人』のその後のお話でした。 自分は、よしもとばななさんが大好きです。多分、よしもとばななさんを好きな人達がみんなそうであるように、それは「好きな作家さんの本を読む以上」のナニかなんです。もともと読書オタク、本の虫みたいだったので、中学生時代に噂の『キッチン』も読みましたが・・・その時は、よく分かりませんでした。ただ、「本なんて全く読みそうにもない、学ランの裏地がピンクになっちゃってるような同じクラスの男子」が
「この人の本は面白い!!」 と言ってたので、「ぇえ~?あんた、本読むの???」と思って、自分も読んでみたけど、当時はその良さがさっぱり理解できませんでした。きっと、まだ自分には必要なかったんだと思います。その頃に読んで感銘を受けたのは、『女の一生』とか、シュテファン・ツバイクの『マリー・アントワネット』とか、『死にゆく者からの言葉』
鈴木秀子/著 文春文庫でした。
よしもとばななさんに嵌ったのは、大学時代に 『アムリタ』 を読んでからかと思います。それまでも、既に新刊が出たらチェックする小説家さんにはなっていたけど、リアルに自分の生き方に影響を与えたのは、アムリタだったかと。一人暮らしを初めて、TVのない部屋で、3年になって授業も選べるようになって、バイトも始めてなくって・・・暇を持て余してて。一人暮らしの直前に、~気が全開気味になって異界に足を踏み入れかけた~体験後だったかと思います。
飯もろくろく食べられなくて、松戸駅を越えて大学まで通うのが、死に物狂い・・・みたいな時期でした。当時の自分は、食事をとるのがきつかったように思います。今まで、チャッチャッと出来ていた料理に、3倍くらいの時間がかかるし、食べるにも同じ。
同じクラスで、同じ寮を出て一人暮らしを始めた、沖縄出身の友人が心配して遊びに来てくれたりしました。
「のんちゃん、なんで、みんなとご飯食べたりしないで、授業終わると帰っちゃうの?もう門限もないし・・・みんな心配してるよ?」
「ぅーん。だって学校で毎日会ってるじゃん。今は外で食べられるモノがないんだょ。」
「この部屋、TVもないの? 帰ってから、毎日何してるの?」
「何って・・・本読んだり、CD聴いたり、絵描いたり。。。あと、今までより、料理にすっごい時間がかかっちゃうんだょ。」
「なんで?」
「ニンジンさんとおしゃべりしながら切るから。」
「・・・・。 はぁ? ・・・。 まぁ、なんだか知らないけど、たまにはお茶くらいみんなと飲みなよ~。」
そんな時期だったので、まさに~アムリタな時間~を生きた感じでした。とても生きるのが大変な時期だったけど、お陰で
「他の生き物の命を貰って食べる。」 とか、「食べ物を身体に入れて、自分のモノにしていく」 という事について、リアルに考えさせられ、体験できました。その体験と前後して、ガイアシンフォニーで、森のイスキアの佐藤初女さんの話しを読んだりして、非常に納得しました。
「料理をしていて、火を止める瞬間は食べ物が教えてくれる。透明になった時が、その食べ物がわたし達に、自分の命を捧げてくれた瞬間なんだ・・・。」
というようなお話です。
当時は、とにかくセンシティヴに傾いてしまった自分の身体が、そういうコトをひとつずつこなしていかないと、ご飯も食べられませんでした。普段の何倍もかけて料理をして(人参を切る時には、人を一人殺すくらいの労力を使っていたと思います。)、それを食べられるようにして、器に盛って、食べる。
食べる時も、人参やお米とおしゃべりをするように、ゆっくり、ゆっくりと噛んで食べないと、身体の中に入っていかない。
今は、TVつけながらとか、本読みながら・・・とかご飯食べてるけど、当時は考えられない感じでした。今も、本当は、どんなに時間がかかっても、そんな風に暮らしていく方が自分には向いてるのかもしれません。だから、今の暮らし方は自分の中のそういう本来の癖、生き方、センシティヴな部分を鈍らせて生きているんだと思います。
まぁ、そんな訳ですっかり 「よしもとばなな」さんに嵌ってた訳ですが、たくさんある小説の中で、よしもとさんの好きな本を選べ!!と言われたら、大切な本が3冊あります。
『アムリタ』
『ハチ公の最後の恋人』
『とかげ』
とくに、ハチの話しは、当時していた若者っぽくない恋愛と、装丁の素晴らしさと共に、自分が死ぬ時には棺に入れて欲しい一冊です。『サウスポイント』は、そのお話のその後のお話なんです。感慨深かったです。18歳~35歳までの自分の心の暗闇を旅したみたいで、なかなかに貴重な体験でした。
そして、バクスター氏の本と、小原田さんの本を読んでいたら 『王国』シリーズのコトも気になって、再読してました。これは~とんでもない山奥で植物の力を借りて、お茶を調合して生計を立ててるおばあさんと孫のお話~なんです。その女の子の名前は、雫石と言います。
そして、環境の変化で植物の力をお茶にする事が出来なくなって、山を降りた女の子が、~目の見えない占い師の楓~と、~占い師のエージェントをしてる美意識が高いが、とんでもなく毒舌のパトロン(楓の恋人:ゲイ)の片岡さん~と仕事をして生きていく・・・というお話。
あらすじだけ書くと、とんでもないが、~雫石と、楓と片岡さん~の世界に、うさぎはすっかりやられて、続編をとても楽しみにしてました。無農薬でりんごを作り始めて、農業でのビジネスって?とか、経済のコトとか、自分がやりたい事で悩んでいた時期だったので、王国1を読んだ日は・・・・なんていうか、自分のりんごの木との向き合い方を、根底から問いかけられてる気がしました。
それと共に、やっぱり自分がしたい事や、暮らし方、りんごの木や植物に対して感じていたコトが正しかったんだ。他の人にとっては分からないけど、自分に見えている世界、見ていきたい世界が確かにあるんだと励まされました。
~うさぎと木のお話~
その1・・・中学生くらいの時に、うさぎが子どもの頃に通った児童館(幼稚園も保育園も村にはなかった)の広場にあった木が切られました。ある朝、登校途中に見たら、なくなってまして・・・。うさぎは衝撃を受けました。なんで切っちゃたんだーーー!!と友達に言うでもなく、ひとり嘆いてたのを覚えてます。でも、村の友達はみんな無反応で・・・。
自分がちょっとおかしいのかな? みんなは、なんで平気なんだろう? てか、別にあるのが当たり前で、その木と子どもの頃にお話したりした訳でも、特に愛着があった訳でもなかったので、「なんで自分がそんなに衝撃を受けたのか?」 それも謎でしたが、ただ実感として
「なんで、そんなに簡単に、あんな立派な木を切ってしまうのか???」
さっぱり訳が分からなかったし、切る時に誰も大人の人が反対しなかったコトが理不尽だと感じました。誰にも、自分にさえも理解されなかったけど、こども時代の思い出のひとつです。
その2・・・りんご畑の近く、昔のうちのお墓にあった松の木が、松くい虫にやられたので切りました。
松くい虫にやられてきてる・・・という話しは武久君から聞いていて、とうとう切ってしまった!・・・と聞いて、うさぎは自分の感性を切りました。忙しい時期だったし、もしそれを自分の弱い部分(心が弱いとかではなくて、柔らかな部分のコト)で受け止めてしまったら、ちょっと受け止めきれないから。
今でも、切られてしまった松の木のコトはあんまり考えたくありません。自分が何も出来なかったコトもだし。何より、お墓やりんご畑の端っこで、足場も良くない場所で、それこそご先祖様の生きていた頃から、長い年月を生きてきた立派な松の木、その木が松くい虫にやられて、あっさり切られてしまう日常・・・それが大嫌いです。そういう意味では、自分は、現世の営みや、現実的な人間の暮しが憎らしいです。どうして、もっと病気になってしまった松の木のコトを真剣に考えてくれる人がいないのか?他の木に病気が移ってしまうから仕方ない・・・それだけではない暮らし方はないものか???
*一昨年?、塔の尾の畑に研修生に手伝って貰って、大量のいろんな品種のりんごの苗木を植えました。確か、140本くらい穴を掘ったのを覚えてます。(穴だけは、業者さんにバックホーで掘って貰いました。)これは、それでも植えたりなかった分の穴を掘り直したりして、植えてる日の作業です。
ただ 「自分が真実だと思う道をいくこと」 は、とても険しいです。だいたい自分のこのセンシティヴな部分を大切にし過ぎたら、それこそ農業なんて出来ないと思います。規則正しい毎日を送りながら農業を続けていくコトと、自分の感性に従って生きるコトは、今の自分にとってはアンビバレントだから。
もう少し、いや、大量に、りんご畑を減らせば、それは可能かもしれません。今は、たった一本のりんごの木と向かい合うコトさえもままならない暮しです。うさぎママに実験結果を話して聞かせたら、
「それならアンタ、寝坊なんかしてないで、それこそ毎日、畑に行って、一本一本のりんごの木に話しかけて歩かなきゃじゃん!」
と言われました。その通りだと思います。でも、SNSでも、リアルでも、あまりにもたくさんの人とコミュニケーションを取る事は限界があるように、りんごの木とだって、限界値があると思うのです。
こどもだってそうだと思います。一辺に、40人全てのこども達と密に接するのは指南の技です。
自分が少しでも、今よりもたくさんのりんごの木と仲良くなる為には、他のコミュニケーションを遮断していく道しかない気がします。それは、だいぶ前から気づいていた事で・・・。 寂しがり屋の、めっぽう人間が好きな自分には、植物と本当の意味で仲良くなるには・・・ちょっと人間が好き過ぎる。。。と感じてます。
でも、りんごの木と今よりも、もっともっと仲良くなりたい気持ちはいつでもあります。そうして開かれる世界に憧れもあります。でも、なんでだか、そういう暮し方をする自分が怖いんです。きっと自分は 「やるなら徹底的に!!」 と思う部分があるので、すっかり世捨て人みたいになって、店舗にも立てなくなっちゃうんじゃないか? とか、よくいる猫屋敷のおばさんみたいに、~りんごおばさん~になっていくのが想像できて。
そうなったらそうなったで、そういう暮し方を楽しく思う自分もいるのだろうけど、だからこそ、ちょっと怖いというか・・・。
バクスター氏の本のあとがきに、翻訳者の穂積さんが御父様から聞いた、「成木責め」のコトが書かれてました。実らない木に刃物をあてて、「実らないと切っちゃうゾ!」と脅すと翌年からは、実をつける・・・というお話。りんご農家としてはリアルな感じで、たまに聞く話です。
うさぎママにも、その話しをしたら、
「確かに~。もぅ、この木は古くなって病気もいっぱいだから、来年は切ろうかね?」
なんて思ってると、たくさん実をつけて、武久君が切りたがらない・・・と。うちでもよくある話。
でも、そんな風にりんごを脅したりするのは、別にしたい事じゃなくって。どうしたら、長年、松木家を支えてくれて、お客様にも美味しいりんごを届けてくれた、りんごの木を・・・寿命を全うさせていきながらも、自然栽培に移行していくか? 一番の問題はいっつも足りない人手・人件費。慣行栽培でさえ、人手不足で大わらわの農業スタイル。
減らすってコトは、イコール・・・まだ、実るりんごの木を切っていくコト。 そのまま農薬はかけずに残していきたいのだが、それだと、近隣に迷惑がかかったりしちゃうから(しないって木村さん達は、りんご裁判とかで戦ってきたのだけど)なかなか難しい道です。
まぁ、なんと言っても今年はまぢで人手も減ったので、うさぎがたくさん畑に出る以外ないのだが、それだけでは追いつかない部分もある。自分の雑事的な仕事を大幅に見直して、本格的にりんごの木と向かい合う道を選んでいくしかないのだにゃ~。
どっぷり浸かると、根を詰める方なので、手探りながらも、ナニか道標を立てて、自分とりんごの木、畑との関係性を考えていかねばにゃのだ☆
人生は、キラキラしないとなのだ☆ 泥にまみれながらキラキラするのが、うさぎの生き様になるのだ

明日は、松木農園を支えてきてくれてた研修生や、おばちゃん達と温泉に行って来ますです。
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=Ms7Ec594Xz4
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昨年の5月頃でしたかね? 「いのちの林檎」の上演会のチラシをずくなしカフェで見かけて、行きたかったのだが、花粉付けの真っ最中で行けませんでしたが、田口さんに連絡を取って、こちらのブログでPRしました。そんなご縁で情報を頂きました。ちょっと予定に入れて、うさぎも行ってみようかと思います。
1月9日、千曲市・坂城の議員さんと交えて、「みつばちからのメッセージ」の上映会を行ないました。
有機リンやネオニコチノイドが脳神経を侵して行くメカニズムをご理解いただけました。千曲・坂城では、今年空中散布を予定していることから、住民の方達にも、この事実を知っていただこうと、上映会をすることになりました。ぜひ、広報をお願い申し上げます。
2月1日(水)午前10時~ 2月3日(金)午後7時~
千曲市五加コニュニティーセンター(予定)
お問い合わせ 0268-43-3253(田口:こどもの未来と健康を考える会
)
市民グループ「こどもの未来と健康を考える会」(田口操代表)は4日、「つながる命みんなの輪」映画上映会&講演会を東御市文化会館で開いた。
同会は、松枯れ対策で行う農薬の空中散布の中止などで活動している。今回のイベントは、専門家の講演や化学物質過敏症の過酷な生活を描いたドキュメンタリー映画「いのちの林檎」(藤澤勇夫監督)や、ネオニコチノイドの農薬散布の被害を訴える「ミツバチからのメッセージ」を上映。映画制作関係者のトークなどを盛りだくさん行った。
会場にはオーガニックな農産物加工品を扱った多数の店も集まり、大勢の人が集まった。・・・http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000358827.html
*東信ジャーナルより抜粋




